中国成功者語録 その2 巨大ECサイトを生み出した風雲児 馬雲(ジャック・マー)

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馬雲(ジャック・マー)

アリババの創業者、現会長、元CEO、ソフトバンク取締役。

逆境に立ち向かい不屈の精神で成功を手にした兄貴肌の企業家

名言

・没有什么人是忘不了的,没有什么事是放不下的,没有什么是值得我再念念不忘的。

世の中に忘れられない人やほっとけないことなんて存在しない。私にとって忘れられないことなんてない。

・在路上发现小金子,如果不断捡起来,身上装满的时候就会走不动,永远到不了金矿的山顶。

道端で小さなゴールドを見つけたら、一つ一つ拾い続けていくと、結局荷物が重くなり、鉱山の頂上に辿り着けなくなってしまう。

・我觉得我们应该为结果付报酬,为过程鼓掌。

結果に報酬を支払い、過程に拍手するべきだと思う。

・有一样东西不能讨价还价,就是企业文化、使命感与价值观。

企業の文化、使命感と価値観は絶対に譲れないものだ。

・我就是拿着望远镜也找不到对手。 (2007年11月6日有关阿里巴巴香港上市受访)

望遠鏡を使っても私の相手になるようライバルが見当たらない。(アリババが香港証券取引所で上場したときに、馬曇はインタビューで)

・碰到一个强大的对手或者榜样的时候,你应该做的不是去挑战它,而是去弥补它。

強い相手やあなたの見本になるような人と出会ったとき、その人に挑戦するのではなく、その人の足りないところを補うのだ。

・即使最后失败了,你也获得了别人不具备的经历。

最後に失敗したとしても、かけがえのないものを得ることができるはずだ。

・别人可以拷贝我的模式,不能拷贝我的苦难,不能拷贝我不断往前的激情。

私のビジネスモデルを真似することができるかもしれないが、私が経験した苦しい過去やめげずに前進する熱い気持ちを模倣することができない。

・一个公司在两种情况下最容易犯错误,第一是有太多的钱的时候,第二是面对太多的机会。

会社としては、以下の二つの情況において、よく過ちを犯しやすいと思われる。それは、資金を大量に持ってるときと目の前に機会がありすぎるときだ。

・互联网是四乘一百米接力赛,你再厉害,只能跑一棒,应该把机会给年轻人。

インタネットはリレーと同じ、非常に優秀な人であっても、一定な距離しか走れず、次世代にリレー棒を渡さなければならない。

・最大的失败是放弃,最大的敌人是自己,最大的对手是时间。

諦めることは最大な失敗であり、時間は最強なライバルである。そして、自分にとって最強な敵は自分である。

馬雲の経歴

日本でも名前を轟かせる中国ECサイトアリババの創業者、馬雲。電子決済アリペイ、コンテンツ業への進出、サッカークラブに出資と幅広い事業を手掛ける超有名企業家である。彼は物静かな外見とは裏腹に強烈な個性をもって荒野を切り拓いてきた。

馬雲は、1964年9月10日に浙江省杭州市に生まれる。学校の成績は悪く、また他人と喧嘩をして転校を余儀なくされた。背は小さかったが度胸があり、まわりから兄貴分として慕われていた。

英語に興味を持ったのは12歳のときにラジオを買い、毎日英語のラジオ番組を聴くようになってからだ。彼は子供のときから実践家タイプであり、英語をある程度学ぶと外国人が多く宿泊するホテルまで行き、外国人に話しかけて腕を磨いた。杭州市には多くの外国人観光客が訪れており英語で会話する機会にも恵まれた。

だが中学・高校と進学校ではなく、成績が悪かった。全国普通高等学校招生入学考試(高考)を2度受験したが、数学の成績は1度目が1点、2度目が31点という酷い結果で、大学進学を諦めて色々なアルバイトをすることになった。

この時の青年馬雲を前に進ませた出会いが二つある。一つは日本のドラマ「燃えろアタック」。バレーボールで五輪出場を目指しひたむきに努力するヒロイン、小鹿ジュン(荒木由美子)の挑戦する姿に感銘を受けた。もう一つの出会いは著名作家路遥の「人生」という本だ。理想を追い求める青年が困難に遭遇し挫折を乗り越えて進み続ける話だ。これらに感化されて再び大学進学を志望した。1984年に、馬雲が人生で三度目の全国普通高等学校招生入学考試(高考)に挑んだ。三度目の挑戦で苦手だった数学で89点を取り、杭州師範学院(現杭州師範大学)英語科に合格した。

1988年に大学を卒業した馬雲は杭州電子工業大学(現杭州電子科技大学)にて英語教師の職を得た。教師時代も兄貴肌をいかんなく発揮して杭州市で初めてとなるイングリッシュコーナー(英語を話す勉強会)を主宰した。また中国全体がニュービジネスに湧くなか、商売にチャレンジングしようと通訳や翻訳を手掛ける海博翻訳社を設立し、定年退職した英語の先生を雇い、通訳や翻訳の事業をしていた。

1995年に、講師を辞め、中国初のインターネットビジネス会社である海博電脳有限会社を設立した。この年彼の転機となるアメリカ出張を経験する。杭州市政府はアメリカの投資会社と高速道路建設に関する投資契約を締結したが資金が振り込まれなかった為、英語が話せる馬雲をアメリカに派遣して催促させた。だがこのアメリカの会社が詐欺まがいの事業を行っており、資金を振り込まないばかりか馬雲にグルになるよう誘惑しそれを拒否した馬雲を軟禁した。やっとのことで逃げ出した馬雲は同僚の親族が働いているアメリカのインターネットプロバイダー会社を見学した。ここで出会ったインターネットにヒントを得て、中国初のビジネス情報発信サイト「中国黄頁(チャイナ・イエローページ)」を開設する。

1998年から1999年にかけて中国政府の省庁、対外経済貿易合作部の下部組織である中国国際電子商務中心に所属し、同部公式サイトおよび同国インターネット商品取引市場を開発する。大きな実績を残し評価されるも、お役所体質が肌に合わず、1999年、同商務中心を辞め、杭州に戻り研究開発センターを設立した。9月には香港を本部とするアリババネットを創業する。

アリババはゴールドマンサックスとソフトバンクをはじめとする企業から融資を受け、事業拡大へと猛進する。2003年5月10日に、淘宝網を開設。2004年12月に、非接触型決済サービスである支付宝(Alipay)を作った。支付宝(Alipay)は訪日中国人観光客が増えることを受け、日本でも、2017年からローソンやイーオンなどでサービスが開始された。また11月11日に「双十一(独身の日)セール」を実施して中国全土の若者を熱狂させるお祭りに育てあげている。

馬雲の起業の歴史は彼の学生生活と同じく、最初から順調満帆ではなかった。アリババ創業まで、馬雲は40社もの会社を起業し、いずれも失敗している。これらの失敗の経験を通じて、アリババを作り成功したわけである。

成功者となった馬雲はスピーチで情熱とビジョンの大切さを語る。みんなと違うことをビジョンとして掲げ、情熱をもって取り組むべきだと話す。逆境のなかにあっても自分を信じてアリババを成長させた経験と知恵は、これから新しいビジネスを開拓する者たちに勇気と意欲を与えてくれる。

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